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History


アメリカノースダコタ州から始まりました。

1970年代 スポーツバイクブームが起こり、アメリカでも自転車レースが復活し、人々は高性能の自転車の魅力に心を奪われます。BIKE FRIDAYの創業者であるアランショルツもその一人でした。

16歳のときアランは3人の友達と1100マイル(約1,760km)を14日間で走る過酷なバイクツアーに参加します。
それをきっかけにアランは「グレートプレーンバイククラブ(大草原自転車クラブ)」というバイククラブを立ち上げツーリングやレースのイベントを行います。アランの両親も彼の情熱を理解し支援していました。

17歳のときアランはアメリカのノースダコタ州の実家のガレージと地階にスキーと自転車の店をオープンします。
当初アランは「Al's BIKE Shop」とその店を呼んでいましたが、のちに「Dacota NOMADO」に店の名称を変更しています。
この頃、当時7歳の弟ハンズは自転車のジュニアレースに参加していました。
「Dacota NOMADO」はハンズにとって大好きな遊び場で自転車の仕事を手伝いつつ早くからメカニック的才能を見せていました。

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NOMADOからBurleyへ

兄弟は、初めはレースをやっていて、手強いことで有名になりました。その後アランは、良いサイクリングウエアやツーリングバッグがないことに気付き、ソーイングマシーンでそれらを作り"Burley Bike Bags"というブランドで販売を始めるようになりました。その後オレゴン州ユージンに移ります。そこではバイクバッグと服を売りに毎週土曜日片道40Kmある森の中の手製のユルト(円形移動テント)からサタデーマーケットへ自転車で行きました。
"Burley "は、質のよいレインウエア、サイクルツーリングバッグ、クロスカントリースキーウエア、植林バッグ、ユルト(テント)カバー、そして有名なバーレイチャイルドトレーラーを製造しています。
アランは、チャイルドトレーラーを最初の娘ハナのために設計しました。"Burley "は、自転車業界でも成功を収めたブランドになり、チャイルドトレーラーは世界中に知られ評価されています。
アランは"Burley "から離れましたが、"Burley "のタンデムバイクの製作を手がけています。"Burley "は一時アメリカで最も大きなタンデムメーカーになりました。この頃、ハンズは、安価な折り畳み自転車でヨーロッパへの旅に出ていました。 彼は、お尻が痛いと言って帰ってきて、自分で高品質のトラベルバイクを考案すると宣言し、折り畳み自転車の設計を試み始めました。
アランもそれに共感し2人でパフォーマンスの高いトラベルバイクを作り始めたのです。

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1992年「BIKE FRIDAY」は生まれました。

アラン・ショルツとハンズ・ショルツはサイクリングが大好きだという土台の上で、
数々の自転車レースを経験し、熟練したメカニックとしての技術を習得してきました。
そして、ついに温めてきたアイディアを、形にするときが来たのです。
1992年 オレゴン州ユージーンの小さなガレージで
「Green Gear Cycling」社は創業しました。

多くの人々は、社名が「BIKE FRIDAY」ではないことを知りません。
"BIKE FRIDAY"の名は、「ロビンソンクルーソー漂流記」に登場する
キャラクターで愛すべき親友であり、有能な相棒である"Man FRIDAY"から
着想を得て初期の協力者ポール・ムーアによって提案されました。
世界中を旅する冒険者たちになくてはならないベストパートナーを
作る私たちには、この提案は素晴らしいものでした。

わたしたちのBIKE FRIDAYはこうして生まれました・・・。

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